昭和49年07月03日 朝の御理解



 御理解 第35節
 「信心は日々の改まりが第一じゃ。毎日元日の心で暮らし、日が暮れたら大晦日と思い、夜が明けたら元日と思うて、日々うれしゅう暮らせば、家内に不和はない。」

 信心をして、頂く者の一番大事な所なんです。日々が改まり新たな気持ちをもって、しかも信心をするなら家内に不和なきが基と仰る。不和のないおかげを頂く為に、毎日元日の心で暮らせとか、又は大晦日の思いとか言う様な例えをもって教えて下さってある訳です。所が元日と思うてというたり、大晦日と思うてと、思えない所にお互いの信心が本当でないかと言う事を解からせて貰うのです。
 毎日毎日が生き生きとした、それこそ元日の様な心とか、大晦日の心の整理もさる事ながら、あの事もこの事も片付けて、そして明日はめでたい元日を目指さなければならんと言った様な精進がなされないから、それをなさずして今日の元日の思いでとか大晦日の思いでと言っても実感が頂けない。問題は実感なんです。これは私自身、まあ日々の改まりと言う事に付いては。毎日毎日様々な物を見たり聞いたりする度に、それを自分の心の上に持って参りますと。
 私が改まらなければ、私が改まらなければと言う事を何時も感じますには、もう夜も夜中もない。これでは明日の朝の有り難い目覚ましも、または有り難い御祈念も出来ないと思うから、夜も夜中もないように、そこんところの改まりというか整理に、私は一生懸命努めております。又はなら夜中に出て参りましてから、御祈念をさせて頂いておりますと、結局は元日の心と大晦日の心という様なものが出来て来ると言う事は、心がスキッとしてこう休まれる。
 そしてそういう場合に何時もなら思う事は、自分の信心の幼稚さというか、自分の心のこまさと言う事が、まあほとんど原因であります。お礼を申し上げねばならない、とにかく自分が改まらななければならないと言う事だけに尽きる事が殆どです。又は私が一心を出さなければと言う事に尽きるです。是はもう毎日毎日なんです。そして自分の心の貧しさとか、心の小ささと言う様なものに気付かせて貰う。そして気付かせて頂いてお詫びをしたり、お礼を申したりしておると心がスキットして。
 それでお礼を申し上げる事だけと、言う事に言わばなるのです。そう言うそのお礼を申し上げる、私は今日思うのに、お礼を申し上げると言った様な心、是が元日の心だと思うんです。元日の心になる。大晦日の思いかと言う事は改めて行くという心から、なら大晦日の心が頂ける様に思う。その事に気付かせて頂いてお礼を申し上げる心から、元日の心が生まれて来る様に思う。そういう心が生まれて来る迄の自分自身と言う物を見てみると、いわゆる信心の幼稚さと自分の心のこまさと言う事に起因しておる。
 愈々大きくならな大きくならなとこう思う。そして今日一日大きくなる事を願わせてもろうて修業をする。そこでやはり力が着いて来る。それは痩せ細った人がいくら頑張ったって体して力は出ません。心が大きく豊かに大きゅうなって、そしてそれで鍛えるから力が湧く、力が出来るね。いうならばお相撲さんにこまい人やら、又はやせ細った人がいない様な物で、先ずは大きくならなきゃ豊かにならなければいけない。そして精進する。初めて力が着くのです。
 どうぞ御祈念の中に、金光教・教団の本当の意味においての発展を願い祈らせてもらいたい。どうでも一つ教団、こういう尊い有難い信心を教祖様が教えておって下さるのですから、いよいよ真の発展を遂げなければならない。ただ大きく成ると言っただけではね。本当に力を頂きながら大きゅうならなければいけない。所謂教会の発展も、ただ真実のことが内容とされての発展でなからないけない。
 合楽教会大発展でも同じ事です。只大きくなるだけじゃなくて、内容が整って発展のおかげにならなければ成らない。そのお願いをさせて頂いとりましたらね、あのうイカダがイカダがねずうとこう、例えば北の山奥からイカダが流されます。それにはそこに岩角ここの急流と言った様な所も見事に船頭さんが見事に操って、いわば流して来る訳です。そのイカダが淀みに入ってしまって、動きが取れないでおる所を頂いた。
 ははぁ是は現在の金光教だなと思った。それをまたそれを銘々の所に持って来るとです。信心もまぁ言うなら、どうどう回りの様な感じであるとするならば、その淀みの中に入っておる様なもんです。そして見ると是が淀みに入っておるイカダを突き放して向うへ、そしてまた流れに戻さなきゃならん、けどあまりに小さい船頭さんだと言う事です。小さい人間の様な船頭さんが乗っとる。
 是じゃイカダは流れに乗って行く時はいいかもしれないけれども、淀みに入った時には力の無い船頭さんでは、淀みから流れの方へ漕ぎ出す事は出来ないという感じの所を頂きました。ははぁいわゆる、金光教の曲り角とか、どこに発展しない元があるかとか言う様な事を言われるんですけれども、それをならば教祖の信心に帰れと、いわゆる全教一心・全教一家と言う事が言われとりながら、本当の意味で全教一新出来ていない全教一家が出来ていない所にです。
 是は愈々大きな船頭さんが、力のある船頭さんが出来なければならないなと私は思わせて貰ました。是を例えば皆さんの場合に持って行ってもそうです。信心がどうどう回り、一つも信心が進展しない。淀みに入っておる時。そう言ったのには先ず、それを流れに漕ぎだす力と言う物を頂く為に、先ずは大きくならなければならないと言う事です。その大きくならせて頂く事の為に、毎日毎日が日々の改まりと言う事に心掛けなければ大きくなれないのと、そこに気も付かないと言う事です。
 イライラやらモヤモヤやら腹立たしさがです。ただ残って明くる日になって、どうして元日の心というのが味わえるはずが有りませんね。私夜も夜中も無い様に、何とはなしにそういう心に引っ掛かる事がある。沢山のご信者さんの様々な難儀な事をお取次ぎさせて貰って、そこがここに残っておる。残っておるから神様に向かう。向かうと安心が生まれると言う事でなければおかげ頂きません。また私が心配して心配を止めてしもうておったら、私はどうかなってしまうだろうと思います。
 こげなにこやかにはして居られません。本当にそれこそ死ぬか生きるかと言う様な問題を持って来られても、そん時には本当にそうもあろうと一緒に涙する事もある。一緒に苦しむ事もあるけれどもそれがね、何時までも涙しておったり、苦しんだりしておったんでは、次の人を助ける事は出来ない、苦しみに捉われてしまって。所が毎日毎日残るんですね矢張り。残るから言うならば祈らなければ成らない、そこでお広前に出て来る。出て来ると結局は自分の信心の幼稚さ、力不足幼稚さと自分の心の狭さを感じる。
 こういう風にして、自分の心を大きく神様がして下さる働きを感ずる時に、お礼を申し上げる心が生まれて来る。そのお礼を申し上げる心で翌朝を迎える時にです。私は朝の三時半から四時までの御祈念の座に付かせて頂くまでの時間が、私の最高の信心のコンディションが整うておる時だと申しますようにいうならば、元日の心以上の元日の心と言う物が、私の心の中に頂けて来る。
 それには前の日から前の晩からそれを整理整頓させて頂いておると言う事が、大晦日の心です。それだからもうスキッとした事ばかりかというと、明くる日になって参りますとです。あれが心に残り是も心に残り、あれが心配になりと言った様な事はいくらもあるのです。だからそれをそのまま持ち越したんでは、私は元日の心というのは味わう事も頂く事も出来ない。愈々だから私共が大きな心を願い、願わなければならない。目指しておる積りだけれども、一つの問題がここに入って来ると、もうその大きくなっているはずの心の中にはばからない。そこに悩みが残る。
 そこでまた神様へ向かう改まって向かう。そこからお礼を申し上げる心が生まれて来る、心が安らいで来る。その心で休ませて貰う。明くる朝の元日の朝以上の元日の心持ちでと言う様な物が開けてくる。そういう私はおかげの繰り返しを、そういう信心の繰り返しを毎日させて頂いておるから私は少しずつでも開けてくる、少しずつでも大きくなって行けれると思うんです。大きゅうなったら大きゅうなったで、矢張りおかげも矢張り大きくなっておる。だから折角様々な元日の心になれないでも。
 大晦日の思いに改めていけんのもです。自分の心の貧しさ小ささからですから、そこに焦点をおいておかげを頂いていかなければならない。さぁ目が覚めたからいっちょう元日の心で行くかと、例えばいうた位な事で始めはまぁ努力もしましょうけれども、真からのものではないですからすぐ止めてしまう。だから心からです私は本当に言うならば、元日以上の元日の心と言う様な心をね、頂ける事の為に、前の日からの大晦日の様な心持ちでの心の整理整頓と言う物がある。
 そしてその時に気付かせて貰うのは、何時も自分の心の貧しさであり、心の小ささである。その小さい心、貧しい心でいかに気張ったところで、体した力は出らない。まず大きゅうなるそして鍛える。そこに初めて大きな力が備わって来るので御座います。備わってきたから、もうそれで良いかとそうではない。またその心でははばからない事が日々やっぱり山積しておる。それを一つ一つ整理整頓させて頂くのが、私は大晦日の心であり、大晦日の日の精進だと思うんです。
 自分の信心、大きくもなければ力も頂けなければ、淀みに入るというイカダは、そのままそこに浮いておるというだけに過ぎない。現在の金光教が昨年も今年も変わらないでただ浮いておるとするならばです、そういう船頭さんのこまさ、小ささが、いわばそれに気は付いておる、是ではいかん、是ではいかんと言う風に気が付いておるけれども、押し突き出す力が無い。大きゅうなる事に精進しないからでしょうね。